秋の気配が漂い始める9月の秩父。澄み切った空気と、少しずつ色づき始める山々の木々が、荒川上流の清流を一層美しく引き立てます。この時期は、渓流釣りのシーズン最終盤。産卵を控え、婚姻色と呼ばれる鮮やかな色彩をまとったヤマメや、力強い姿のイワナに出会える、一年で最も心躍る季節です。しかし、渓流釣りは「難しそう」「どこへ行けばいいかわからない」と、初心者にとってはハードルが高いと感じられるかもしれません。この記事では、そんな初心者の方でも安心して荒川上流の渓流釣りに挑戦できるよう、準備から具体的な釣り場のポイント、そして釣り方まで、一歩一歩丁寧に解説していきます。このガイドを手に、忘れられない一匹との出会いを求めて、秩父の美しい自然の中へ足を踏み入れてみましょう。
9月の荒川上流、釣りを始める前に知っておくべきこと

釣りを始める前に、まずは9月ならではの川の状況や、必ず守らなければならないルール、そして安全に関わる重要な情報を確認しましょう。事前の準備が、釣りの楽しさと安全を大きく左右します。
禁漁間近!9月の渓流釣りの特徴
荒川上流を管轄する秩父漁業協同組合のエリアでは、ヤマメやイワナといった渓流魚の遊漁期間が3月1日から9月30日までと定められています。つまり、9月は釣り人にとってシーズンの締めくくりとなる、非常に貴重な1ヶ月なのです。
この時期の魚たちには、春や夏とは異なる大きな特徴があります。それは「産卵」を強く意識していることです。産卵場所を確保するため、魚たちは縄張り意識が非常に強くなり、侵入者に対して攻撃的になることがあります。これが、大型の魚がルアーや餌に果敢にアタックしてくる理由の一つです。しかし、同時に半年近く釣り人のプレッシャーにさらされてきた魚たちは、極めて警戒心が高く、簡単には口を使いません。
このため、9月の釣りは「数よりも質」を求める釣行となります。釣れる魚の数は減るかもしれませんが、自己記録を更新するような、鮮やかな婚姻色に染まった素晴らしいコンディションの一匹に出会える可能性が最も高い時期でもあります。また、秋雨などで川が適度に増水すると、魚の活性が一気に上がり、絶好のチャンスが訪れることも少なくありません。9月の釣りは、一筋縄ではいかない難しさと、それを乗り越えた先にある大きな感動が同居する、まさに渓流釣りの醍醐味を味わえる季節なのです。
必須の手続き:秩父漁協の遊漁券
荒川上流で釣りをするためには、必ず「遊漁券(入漁券)」を購入する必要があります。これは川の環境を維持し、魚の放流事業などを行うための大切な資金源となるもので、無許可での釣りは密漁行為にあたります。荒川上流のほとんどのエリアは秩父漁業協同組合が管理しています。
初心者にとって嬉しいのは、この遊漁券が非常に手軽に購入できる点です。秩父エリア周辺のセブン-イレブンなどのコンビニエンスストアや、地元の釣具店などで簡単に入手できます。釣行当日の朝、現地に向かう途中で気軽に購入できるこのシステムは、秩父エリアが初心者にも優しい理由の一つです。
日釣券の料金は事前に購入すれば2,500円程度ですが、川で見回りを行っている監視員から直接購入する「現場売り」の場合、5,000円とかなり高額になります。必ず釣り場に入る前に購入し、帽子やベストなど、外から見えやすい場所に装着しておきましょう。
安全第一!服装と持ち物、そして熊対策
渓流釣りは美しい自然の中で楽しむアクティビティですが、同時に危険も伴います。安全に楽しむための装備は、釣果を上げるための道具と同じくらい重要です。ここでは、服装や持ち物を単なるリストとしてではなく、それぞれが持つ安全機能の「システム」として理解することが大切です。
川を歩くための「安定システム」
川の中を歩くためには、体を濡らさないための「ウェーダー(胴長)」が必須です。様々な深さの場所に対応できる、胸まで覆うチェストハイタイプがおすすめです。ウェーダーには長靴と一体になった「ブーツフットタイプ」と、靴下状になっていて別に「ウェーディングシューズ」を履く「ストッキングタイプ」があります。渓流ではよく歩くため、歩きやすい後者が適しています。
そして最も重要なのが靴底です。川の中の石は苔で非常に滑りやすいため、滑り止め効果の高い「フェルトソール」のシューズを選びましょう。このウェーダーとフェルトソールのシューズの組み合わせが、転倒という最も多く危険な事故を防ぐための基本システムとなります。
体を守るための服装と装備
- ウェア: 転倒時の怪我や虫刺され、日焼けを防ぐため、夏でも長袖・長ズボンが基本です。汗をかいても乾きやすい化学繊維のシャツなどが快適です。山の天気は変わりやすいため、防水透湿素材のレインジャケットは必ず携行しましょう。
- 必須アクセサリー: 帽子、偏光サングラス(水中の魚や地形を見るだけでなく、飛んできたルアーや木の枝から目を守る重要な役割があります)、両手を自由にするためのフィッシングベストやバックパック、魚を優しく扱うためのラバーネットは必ず用意しましょう。
野生動物との遭遇を避けるための「熊対策システム」
秩父の山々はツキノワグマの生息地でもあります。遭遇することは稀ですが、万が一の事態を避けるための知識と準備は必須です。
- 遭遇回避: クマとの遭遇で最も危険なのは、お互いが気づかずに至近距離でばったり出会ってしまうことです。自分の存在を知らせるために「熊よけの鈴」を身につけましょう。ただし、川の音で鈴の音が聞こえにくい場合もあるため、見通しの悪い場所では時折ホイッスルを吹いたり、大声を出したりすることも有効です。
- 遭遇時の対応: もし熊を見かけても、決して背中を見せて走ってはいけません。逃げるものを追いかける習性があるためです。熊から目を離さず、冷静に、ゆっくりと後ずさりしてその場を離れましょう。
- 最終手段: 万が一、熊が襲ってきた場合の最後の護身用具として「熊撃退スプレー」の携行を強く推奨します。これはあくまでも最終手段ですが、持っているという安心感が冷静な行動に繋がります。使用方法は事前に必ず確認しておきましょう。
初心者におすすめ!荒川上流の厳選釣り場ポイント

「どこで釣りをすればいいのか」は、初心者にとって最大の悩みどころです。ここでは、アクセスのしやすさ、安全性、そして魚影の濃さを基準に、初心者の方に特におすすめできるポイントを厳選してご紹介します。
表1: 荒川上流(秩父)初心者向けおすすめポイント早見表
ポイント名 | 川の種類 | おすすめ度 | 特徴 | アクセス |
浦山川 | 支流 | ★★★★★ | 魚影が濃いメジャー河川。林道沿いで入渓しやすく安全。 | 車。無料駐車場あり。 |
小森川 | 支流 | ★★★★☆ | 里川風景で足場が良い。道路沿いで分かりやすい。 | 車。関越道花園ICからアクセス。 |
薄川 | 支流 | ★★★★☆ | 小森川より人が少なくのんびり釣りができる。入門に最適。 | 車。小森川と近いエリア。 |
秩父公園橋周辺 | 本流 | ★★★☆☆ | アクセス抜群で駐車場からすぐ。大淵など分かりやすいポイント。 | 車。河川敷に広い駐車スペース。 |
アクセス抜群で安心!里川エリアのポイント
浦山川:初心者が最初に訪れるべき場所
初心者の方が最初の釣り場を選ぶなら、浦山川が最もおすすめです。秩父漁協管内でも特に放流量が多く、「メジャー河川」として知られています。これはつまり、魚に出会える確率が高いということであり、最初の成功体験を得るには最適な環境です。川沿いに林道が続いているため、車でのアクセスが容易で、川への出入りもしやすいのが大きな魅力です。無料の駐車スペースも整備されており、道に迷う心配も少なく、安全に釣りに集中できます。
小森川と薄川:「里川」の雰囲気を楽しむ
「里川(さとかわ)」とは、人里近くを流れる比較的穏やかな川のことです。小森川は、そんな里川の美しい風景が広がる釣り場で、道路に沿って流れているためポイントが分かりやすく、足場も比較的良好です。
そして、小森川が混雑している時に知っておきたいのが、すぐ近くを流れる薄川です。小森川よりも釣り人が少なく、のんびりと自分のペースで釣りを楽しみたい場合に最適な「逃げ場」となります。この2つの川を知っておけば、当日の状況に合わせて柔軟に釣り場を選ぶことができます。
本格的な渓相に挑戦!本流エリアのポイント
秩父公園橋周辺:手軽に本流釣りを体験
「大きな川で釣ってみたい」という憧れを手軽に叶えてくれるのが、秩父公園橋周辺のエリアです。広大な河川敷に車を停めることができ、駐車場からすぐに竿を出すことができます。橋の下には「大淵」と呼ばれる深く大きなポイントがあり、魚が溜まりやすい場所が目で見て分かりやすいのも初心者には嬉しい点です。本格的な山奥へ行かなくても、荒川本流のダイナミックな釣りを楽しめる絶好のポイントです。
大滝地区:次のステップとして目指す場所
さらに本格的な渓流釣りを求めるなら、大滝地区が次の目標となるでしょう。切り立った岩盤が続く渓谷の景色は圧巻で、これぞ渓流釣りといった雰囲気を満喫できます。支流である大血川との合流点などは、大型で美しい魚が潜むことで知られる一級ポイントです。
ただし、こうした有名ポイントは多くの釣り人が訪れるため、魚の警戒心が非常に高く、釣りの難易度は格段に上がります。また、上流のダム放流により、急に水位が1メートルほど上昇することもあるため、常に周囲の状況に注意を払う必要があります。ここは、経験を積んだ先にある、憧れのステージとして心に留めておくと良いでしょう。
【釣り方別】初心者向け徹底解説!これであなたも渓流マスター
渓流釣りにはいくつかのスタイルがあります。ここでは、初心者におすすめの3つの釣り方「ルアー」「餌釣り」「テンカラ」について、必要な道具から具体的なテクニックまでを詳しく解説します。
ルアーフィッシング入門:ミノーを操りヤマメを誘う
タックル(道具)
- ロッド(竿): 川幅が狭く、木々が覆いかぶさる渓流では、短い竿が圧倒的に有利です。長さ4フィート(約120cm)から5.3フィート(約160cm)程度の、UL(ウルトラライト)またはL(ライト)という柔らかさのスピニングロッドを選びましょう。
- リール: 1000番から2000番サイズの小型スピニングリールが竿とのバランスも良く、扱いやすいです。
- ライン(糸): 最初はライントラブルが少なく扱いやすい「ナイロンライン」の4ポンドがおすすめです。
ルアー
渓流ルアーの主役は、小魚を模した「シンキングミノー」です。長さ4cmから5cm程度で、水中で沈む(シンキング)タイプが、流れの速い渓流でも魚のいる層までルアーを届けやすいため万能です。スミス社の「D-コンタクト」、デュオ社の「リュウキ」、ジャクソン社の「メテオーラ」などは、実績が高く多くの釣り人に愛用されており、最初に買うルアーとして間違いのない選択です。
釣り方の基本
渓流ルアーフィッシングで最も重要な原則は、「魚に気づかれる前に、魚のいる場所にルアーを届ける」ことです。渓流魚は常に流れの上流を向いて、流れてくる餌を待っています。そのため、釣り人は魚がいるであろうポイントよりも下流側に立ち、ポイントの上流側へルアーを投げる「アップストリームキャスト」が基本となります。こうすることで、ルアーが先に魚の視界に入り、釣り人の存在に気づかれにくくなるのです。
キャストしたら、リールを巻きながら竿先をチョン、チョンと小刻みに動かす「トゥイッチング」という操作でミノーを動かします。これにより、ミノーは水中でキラキラと光を反射しながら不規則に泳ぎ、弱った小魚を演出して魚の捕食スイッチを入れます。
9月の警戒心の高い魚に対しては、派手なアクションが逆効果になることもあります。そんな時は、トゥイッチの動きを小さくしたり、ただリールを巻くだけの「タダ引き」でゆっくりとルアーを見せることで、思わぬ反応が得られることがあります。岩の陰や流れのよどみ、木の枝が覆いかぶさる下の影など、魚が隠れていそうな場所を丁寧に探っていきましょう。
餌釣り入門:自然に流して魚を騙す
タックル(道具)
餌釣りでは、リールのない「延べ竿」を使います。長さは5.3mから6m程度のものが、様々な川幅に対応できて使いやすいでしょう。仕掛けは、竿先に結ぶ道糸、水中でアタリ(魚が餌を食べた合図)を知らせる「目印」、仕掛けを沈めるための「ガン玉(オモリ)」、そして針を結ぶ「ハリス」で構成されます。初心者の方は、これらが全てセットになった市販の「完成仕掛け」を使うのが最も簡単で確実です。
餌
最も効果的なのは、その川に生息する「川虫」です。石をひっくり返すと見つかるヒラタカゲロウの幼虫(ヒラタ)や、トビケラの幼虫(クロカワムシ)などが特効餌となります。しかし、採取が難しい場合は、釣具店で購入できる「イクラ」「ブドウムシ」「ミミズ」でも十分に釣果が期待できます。特に9月は産卵期と重なるため、イクラへの反応が良いことがあります。
釣り方の基本
餌釣りの核心は、いかに「自然に餌を流すか」という点に尽きます。川の流れは、水面近くが最も速く、川底に近づくほど遅くなります。魚は流れの緩やかな川底付近で餌を待っているため、仕掛けをその層に届けなければなりません。
ここで重要になるのが、ガン玉(オモリ)の重さ調整です。オモリが軽すぎると、速い表層の流れに引かれて餌が浮き上がってしまいます。逆に重すぎると、川底に引っかかって不自然な動きになります。ポイントの流れの速さや深さに合わせて、オモリをこまめに交換し、「目印が水面に浮いている葉っぱよりもゆっくり流れる」状態を目指すのが理想です。
アタリは、下流に流れていく目印の動きの変化で捉えます。目印の動きが不自然に止まったり、少し沈んだり、横にずれたりしたら、それが魚が餌を口にしたサインです。渓流魚は少しでも違和感を感じるとすぐに餌を吐き出してしまうため、アタリがあったら素早く、しかし竿を立てるような優しい動作でアワセ(フッキング)を入れましょう。
テンカラ釣り入門:日本の伝統釣法に挑戦
タックル(道具)
テンカラ釣りは「竿、ライン、毛鉤(けばり)」という、日本の伝統的なミニマリズムを体現した釣りです。竿は3.6m前後のものが標準的で、初心者にも扱いやすい長さです。ラインは、均一な太さの「レベルライン」がおすすめです。これを竿と同じくらいの長さに切って使います。そして、その先に1mほどのハリスを結び、毛鉤を付けます。毛鉤は、鳥の羽などが逆向きに取り付けられた「逆さ毛鉤」がテンカラの代表的なものです。
釣り方の基本
テンカラのキャストは力ではなく、リズムとタイミングが重要です。竿のしなりを利用してラインの重みを乗せるように振ります。時計の文字盤をイメージし、竿先を頭上の12時から前方の2時(または10時)の間で、コンパクトに、かつリズミカルに振るのがコツです。
キャストした毛鉤は、水面直下を自然に流します。ここからがテンカラの真骨頂である「誘い」です。竿先を軽くチョン、チョンと動かすと、水中にある逆さ毛鉤の羽が水の抵抗を受けて、まるで生きているかのように開閉します。この動きが、魚に餌だと錯覚させ、思わず口を使わせるのです。逆さ毛鉤は、この誘いのテクニックのためにデザインされた、機能美の結晶と言えるでしょう。
毛鉤は水中にあり見えないため、アタリはラインの先端で判断します。色付きのラインが水面に入る部分を注視し、その動きが止まったり、引き込まれたり、少しでも不自然な動きをしたら、それがアタリです。すかさず手首を返すように小さくアワセを入れましょう。
まとめ:敬意をもって、最後のシーズンを楽しもう

9月の荒川上流での渓流釣りは、シーズン最後の特別な機会です。産卵を控えた美しい魚たちとの出会いは、きっと忘れられない思い出になるでしょう。この記事で紹介した準備と安全対策を徹底し、自分に合った釣り方で、ぜひ挑戦してみてください。
最後に、この時期の魚たちは、次の世代へと命をつなぐ大切な役目を担っています。釣れた魚はやさしく扱い、もし持ち帰らないのであれば、ダメージを最小限に抑えて速やかにリリースすることを心がけましょう。ラバーネットを使い、濡らした手で魚に触れることで、魚への負担を大きく減らすことができます。
美しい秩父の自然と、そこに息づく生命への敬意を忘れずに、素晴らしい一日をお過ごしください。安全で、実りある釣行となることを願っています。